歴史に残る重要な出来事/第13回「首陽大君が開いた秘密会議」

最高の名君と称された4代王・世宗(セジョン)の二男の首陽大君は、幼い11歳の甥だった端宗(タンジョン)の即位を不満に思っていた。王の後見人である重臣の金宗瑞(キム・ジョンソ)らが執政の主導権を握っていたからだ。首陽大君は「弱体化した王権を奪い返す」という大義を掲げ、決起の秘密会議を開いたのだが……。





世宗の心配事

朝鮮王朝では“王の後継者は長男”が原則。しかし建国初期は、それが破られ、王の座を巡る王族たちの争いが絶えなかった。
世宗(セジョン)は、父の太宗(テジョン)が骨肉の争いで王位に就き、自身も三男の身で王になったことを気にかけていた。そのため、1421年に長男が7歳になると早めに世子(セジャ)に指名した。
世宗に似て聡明だった世子は、29年間、世宗の下で政治を学び、温厚な人柄で多くの人の信頼を集めた。しかし、からだが弱く、不安を感じた世宗は、早く後継者を作るよう催促した。自分と世子が亡くなると、王権が混乱すると考えたからだ。
実際、世子の弟の首陽大君(スヤンデグン)が、病弱な兄に代わり、王になろうと野心を燃やしていた。
1441年、世子は顕徳(ヒョンドク)王后との間に待望の男子を授かった。世宗はその孫を世孫(セソン=世子の次の王位継承者)に指名した。




1450年、世宗は信頼できる若い学者たちに「世孫を頼む」と言って亡くなった。
直後に、世子が5代王・文宗(ムンジョン)として即位。世孫も世子に昇格した。しかし文宗は、すぐに体調を崩し、在位の大半を病床で過ごした。
結果として王の権威は弱くなり、弟たちが勢力を強めていった。特に首陽大君は露骨に王位を狙い、臣下の中に支持者を広げていった。
文宗は心労を募らせ、病状を重くする。
1452年、死期を悟った文宗は、金宗瑞(キム・ジョンソ)ら重臣たちに死後を任せるとの遺命を託し、息を引き取った。こうして、世子は11歳の若さで6代王・端宗(タンジョン)として即位した。
成人していない王が即位した場合、王族の最長老女性が垂簾聴政(=王の代わりに執政すること)を行なうのが一般的だった。しかし、端宗にはそれも難しかった。なぜなら、母・顕徳王后は端宗を産んだ3日後に亡くなり、先代、先々代の王妃も他界していたからだ。
端宗は聡明だったが、11歳での執政は無理があった。そのため、端宗の治世初期は、文宗の遺命を受けた重臣たちによる政治が行なわれた。




彼らは強大な力を持つ首陽大君を牽制するため、世宗の三男の安平大君(アンピョンデグン)を支持し、対立構造を強めた。
そんな緊迫した情勢の中、首陽大君のもとを韓明澮(ハン・ミョンフェ)という男が訪ねてくる。
韓明澮は科挙の試験に受からず出世できないでいたが、野心と知略には長けていた。韓明澮は出世のためには、首陽大君に取り入ることが最善と考えたのだ。
そこで彼は、「金宗瑞たちが王を補佐して横暴をふるっている」と声高に非難し、間違いを正すためにも首陽大君が王位に就かなければならないと力説した。この言葉に感銘を受けた首陽大君は、韓明澮を自らの側近として迎え入れた。
首陽大君は韓明澮の助言を受けて勢力拡大に動き始めた。このとき、韓明澮は排除すべき人物を記した「生殺簿」の作成を進めた。
そんな情勢の中、安平大君がクーデターを起こすという噂が流れた。噂を耳にした首陽大君は、支持者を自身の邸宅に集め、秘密会議を開いた。
話し合いの最中に逃げ出す者や、時期尚早と止める者も多かった。しかし、韓明澮は今こそ金宗瑞を討つべきだと強硬に主張した。




悩んだ末に、首陽大君はその意見を受け入れ、その日の内に金宗瑞の屋敷を強襲することを決めた。
このことが象徴しているように、秘密会議は朝鮮王朝の歴史に大きく影響した。結果的に、首陽大君は端宗を退位させて自分が7代王の世祖(セジョ)として即位することになるのだが……。
人気を集めたドラマ『王女の男』でも、この秘密会議が重要な鍵となっていた。劇中では、父の企みに気付いてしまったセリョンが、愛するスンユにこの事実を伝えようとするが、見つかって監禁されてしまう。実の父が愛する人の父を殺すという悲劇は、ドラマを波瀾万丈の世界に誘導していた。

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