解説!燕山君(ヨンサングン)の廃位と中宗(チュンジョン)の即位

「反正」の意味

クーデターの夜、何も知らない晋城大君の屋敷に数多くの人影が見えた。普段から燕山君に脅迫まがいの嫌がらせを受けていた彼は、それが異母兄からの刺客だと思い、死を覚悟した。
しかし、いつまでたっても攻め込んでこない。その結果、晋城大君はようやくクーデターの計画を知った。
一方、王宮に攻め込んだ林元宗たちは、驚くほどあっさりと燕山君のいる場所まで辿りついていた。クーデターの軍が突入すると、場内の兵士たちは我先にと逃げ出してしまったからだ。
命を賭けてまで燕山君を守ろうとする者はいなかった。その後、燕山君は江華島(カンファド)に配流となり、2カ月後に31歳で人生を終えた。
晋城大君は王位に就くことを嫌がったが、彼の母である大妃の説得に折れ、11代王・中宗(チュンジョン)として即位した。




このように成功した1506年の政変を「中宗反正(チュンジョンバンジョン)」と言う。
この「反正」とは、「間違いを正す」という意味だ。

王になってはいけなかった燕山君(ヨンサングン)の悪政とは?

同じ廃位でも光海君(クァンヘグン)は燕山君(ヨンサングン)とは違う!

中宗は端敬王后(タンギョンワンフ)をなぜ守れなかったのか?

『七日の王妃』の端敬王后(タンギョンワンフ)はなぜ七日で廃妃になった?

中宗(チュンジョン)の息子の仁宗(インジョン)は孝行息子の鑑!




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