蒙古の襲来
高麗にとって常に頭痛の種となっていたのは、北方民族や中国の巨大王朝の存在であった。高麗の前期には、北方に位置する契丹や女真族との争いに神経をすり減らしていたし、中国大陸で蒙古が勢いを得ると、その干渉をしきりに受けるようになった。
ついに、1231年に蒙古の大軍が攻めてきた。
高麗も必死に戦ったが、なにしろ相手は当時世界最強の蒙古である。高麗としてはへりくだって講和を結ぶのが精一杯だった。しかし、領土拡張を国是とする蒙古は講和を破って何度も攻めてきた。
やむなく、1232年、高麗は都を開京から江華島(カンファド)に移した。蒙古は海戦が得意ではなかったので、島に移れば相手も攻めきれないだろうという読みがあったからだ。
急場しのぎの遷都は意外と効果があり、高麗はなんとか蒙古の攻撃をしのいだ。なにしろ、都は40年間近くも江華島から移らなかったのである。
しかし、高麗の政権内には、徹底抗戦を唱える一派がいれば、弱腰の和平を主張する一派もいた。1270年、ひそかに蒙古と手を組んだ文官たちによって武人政権は滅ぼされてしまった。
翌年、蒙古は国号を「元」と改めて完全に中国大陸の支配者となった。そして、高麗に対する締めつけを強化していった。
1274年、元寇が九州で始まったが、台風で壊滅的な被害を受けたこともあり、元の日本侵攻は失敗に終わった。その後、元は次第に国力が衰え、朝鮮半島から退却した。かわって、高麗を苦しめたのが海賊集団の倭寇だった。各地の海岸に出没して大きな被害をもたらした。
倭寇を鎮圧する過程で実績をあげてきたのが、高麗の武将だった李成桂(イ・ソンゲ)である。
1368年、中国大陸では元にかわって明が統一国家を築いたが、高麗では、北方に退却した元を支持する一派と、明を支持する一派が対立した。その間隙を突いて李成桂は開京を陥落させ、政治的に第一人者となった。
最後は、高麗の34代・恭譲(コンヤン)王が李成桂によって追放されて、1392年に朝鮮王朝が誕生して高麗は滅んでしまった。
以上が高麗の歴史だが、『トッケビ』でコン・ユが演じているキム・シンは、1080年頃に生まれたという設定になっている。そして、キム・シンが将軍として活躍した12世紀前半であれば、高麗時代では16代王の睿宗(イェジョン/在位期間は1105~1122年)の統治時代であった。
そんな時代から生き続けているという設定のキム・シン。まさに、恐るべきトッケビである。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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