『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』の主人公のキム・シンは、900年以上も前の高麗(コリョ)時代の将軍という設定だった。彼は王に裏切られて、胸に剣を刺したまま現代にさまよっている。『トッケビ』はそんなドラマだが、物語の始まりとなっている高麗時代とは、果たしてどんな時代だったのか。
初代王は王建
高麗が建国されたのは918年である。
当時は、初めて朝鮮半島を統一した新羅(シルラ)の統治時代であったが、後百済(フペクチェ)、後高句麗(フゴグリョ)といった国が各地に勃興し、新羅の勢力も急速に衰えていた。
その中で、高麗を建国した王建(ワン・ゴン)は優れた戦略で勢力を伸ばし、ついに936年に朝鮮半島を統一した。首都は朝鮮半島の中央に位置する開京(ケギョン/現在の開城〔ケソン〕)であった。
なお、王建が国号を高麗としたのは、高句麗(コグリョ)を強く意識していたからだ。彼は、かつて朝鮮半島北部から中国大陸にかけて強大な国家を築いた高句麗の後継者を自認していたほどであった。
そして、王権を磐石なものにするために、王建は子孫が絶対に守るべき10の掟をつくった。それは、「仏教を重んじること」「風水地理を尊重すること」「長男が王位を継承すること」など具体的なことばかりであった。
王建がつくった掟が守られたことで、高麗は典型的な仏教国家になり、僧侶の地位が高くなっていった。
さらに、優秀な人材を官僚に取り立てるために、高麗は中国の王朝にならって科挙の制度を取り入れた。そこまでは良かったのだが、優遇された文官は徐々に貴族化していき、高麗は極端な門閥が幅をきかせるようになってしまった。
しかも、軍事力を持った武人の地位は文官より低く、武人の不満が次第に大きくなっていった。
1170年、武人たちはクーデターを起こし、文官を追放して、自分たちの意のままになる明宗(ミョンジョン)を即位させた。
明宗は第19代の高麗王として1197年まで在位したが、実権は武人側にあり、ここに朝鮮半島では珍しい武人政権が続いたのである。
とはいえ、武人が司る政治はまとまりを欠いた。
有力な武人が自分の勢力拡大をはかり、私兵を強化して争いを起こし、国内はなかなか平穏を取り戻せなかった。
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