死後に王になった
朝鮮王朝では未成年で王になった人が何人もいるが、さすがに7歳で王に即位した王はいなかった。
年齢が若い順に言うと、憲宗の次に若かったのは祖父にあたる純祖で、即位したときは10歳であった。その次は11歳で即位した6代王・端宗(タンジョン)がいる。そういう歴史を見ても、憲宗の7歳というのはあまりに幼い年齢であった。
朝鮮王朝では、未成年の男子が王になった場合には、王族の最長老女性が代理聴政をすることになっていた。それによって、憲宗の代理聴政は、彼の祖母にあたる純元(スヌォン)王后が担うことになった。
純元王后は安東(アンドン)・金氏という一族の出身だが、すでにこの一族が当時の朝鮮王朝の政治を牛耳っていた。純元王后が代理聴政をすることによって安東・金氏の政治力がさらに高まり、以後も政権の中枢を独占した。
それによって政治が腐敗したのは事実であり、19世紀になって朝鮮王朝が衰退した元凶とも言われている。
憲宗は即位すると、若くして亡くなった父親の孝明世子を追尊し、翼宗(イクチョン)という諡(おくりな)を贈っている。これは王の尊号である。
つまり、孝明世子は死後に王になったのだ。
残念なことに、憲宗も1849年に22歳で世を去っている。早世した父親よりわずか1歳だけ長く生きただけであった。
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