カテゴリー:歴史
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1506年、燕山君(ヨンサングン)はクーデターで王宮を追われた。代わって即位したのが、燕山君の異母弟であった中宗(チュンジョン)だった。彼の妻の端敬(タンギョン)王后は堂々たる「国母(クンモ)」になったのだ。
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世子(セジャ)といえば、次の国王が約束された身分だ。しかし、朝鮮王朝の歴史を見ると、世子でありながら国王になれなかった人がかなりいる。その中で、特に悲劇的だった5人を取り上げてみよう。
哀れな世子たち
最初は…
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『七日の王妃』の主人公になっている端敬(タンギョン)王后は、わずか七日間だけ王妃になっていて、その後に廃妃(ペビ)となっている。なぜ、彼女は国王から離縁されなければならなかったのだろうか。
燕山君の異母弟
1…
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『不滅の恋人』は韓国で放送時の原題が『大君~愛を描く』だった。この「大君」というのは、国王の正室が産んだ王子のことを意味している。そして、このドラマに登場する大君のイ・ガンとは、歴史上では首陽大君(スヤンデグン)のことだ…
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NHKの総合テレビで放送の『不滅の恋人』に登場するイ・フィは、実在の安平大君(アンピョンデグン)がモデルになっている。安平大君は、朝鮮王朝最高の名君と評価される4代王・世宗(セジョン)の三男として1418年に生まれた。こ…
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1762年、21代王の英祖(ヨンジョ)は息子の思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めてしまう。思悼世子の素行の悪さに英祖が激怒した結果だった。果たして、結末はどうなったのか。
王宮の一角に置かれた米びつ
時…
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1623年にクーデターを成功させて15代王・光海君(クァンヘグン)を廃位させた綾陽君(ヌンヤングン)。彼はすぐに16代王・仁祖(インジョ)として即位した。しかし、彼の在位中は苦労の連続だった。
他に例がない
仁祖とい…
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朝鮮王朝の14代王・宣祖(ソンジョ)には14人も息子がいた。しかし、当初は側室が産んだ王子たちばかりだった。その中で、長男が臨海君(イメグン)で、二男が光海君(クァンヘグン)である。
捕虜になった臨海君
臨海君と光海…
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