中宗の再婚
中宗は高官たちに頭が上がらない王であった。
結局、高官たちの主張を拒絶することができず、涙ながらに端敬王后を離縁した。
こうして端敬王后は廃妃となり、王宮から出されてしまった。
それが1506年の話だ。
中宗は次に章敬(チャンギョン)王后を正室にした。この章敬王后は、1515年に中宗の長男(のちの12代王・仁宗〔インジョン〕)を産んだのだが、産後の肥立ちが悪くてすぐに亡くなってしまった。
中宗はせっかく長男が生まれたのに、再び独身になってしまった。
朝鮮王朝の国王は、すぐに再婚しなければならない宿命を負っていた。このとき、「一度は離縁した端敬王后を王妃に復位させたらどうか」という意見が出た。
(ページ3に続く)
王妃の歴史実録4/理不尽な仕打ちを受けた「悲惨な五大王妃」とは?
王妃の歴史実録5/国王よりも強かった「女傑の五大王妃」は誰か?