トンイと張禧嬪のライバル物語1「最初のエピソード」

張禧嬪をムチで叩いた王妃

粛宗には娘が何人もいましたが、息子はいませんでした。粛宗は大変焦りを感じていました。「朝鮮王朝実録」を読むと、「後継ぎがいないので夜も眠れないくらい心配だ」と粛宗が語る場面が出てきます。
粛宗の最初の正室は仁敬(インギョン)王后ですが、1680年に亡くなっています。その翌年、二番目の正室として王宮に入ったのが仁顕(イニョン)王后でした。
彼女は病弱だったこともあり、粛宗との間には子供ができませんでした。それで、なおさら粛宗の心配が募ったわけです。
当初、仁顕王后は張禧嬪について「主上(チュサン/王のこと)にあれだけ寵愛されている女性だから」と評して、とても贔屓目(ひいきめ)に見ていました。しかし、粛宗が完全に張禧嬪に惚れ込んで仁顕王后のもとに通わなくなってきてからは、かなり厳しい対応を取るようになりました。




「朝鮮王朝実録」には、仁顕王后が張禧嬪のふくらはぎをムチで叩いたという記述もありました。それくらいに張禧嬪を警戒したのです。
(ページ3に続く)

トンイと張禧嬪のライバル物語2「宿敵誕生」

トンイと張禧嬪のライバル物語3「大事件の結末」

トンイと張禧嬪のライバル物語4「粛宗の怒り」

トンイと張禧嬪のライバル物語5「最終対決」

トンイは王宮の裏でどのように暗躍したのか




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