過去の記事一覧

  • 王宮の烈女と悪女8「張緑水」

    張緑水(チャン・ノクス)〔?~1506年〕は、両班(ヤンバン)の父と妾の間に生まれた。妾の娘だった彼女は、生まれながらに奴婢(最下層の身分)にされた。張緑水は己の境遇を呪った。どうにかして自分の身分を改善しようと思った彼…
  • 王宮の烈女と悪女7「廃妃・尹氏」

    9代王・成宗は王としては多くの偉業を残した。しかし、女好きがたたり、多くの問題も起こしている。その筆頭が廃妃(ペビ)・尹氏(ユンシ)との問題だ。果たして、それはどんなことだったのだろうか。 成宗の正室となった…
  • 王宮の烈女と悪女6「仁粋大妃」

    仁粋(インス)大妃は、もともと、7代王・世祖(セジョ)の長男・懿敬(ウィギョン)の正妻である。懿敬は世子(セジャ/王の後継者)だったので、仁粋大妃も本来なら王妃になるはずだったのだが、懿敬が19歳で夭逝したために、それは…
  • 王宮の烈女と悪女5「貞熹王后」

    7代王・世祖(セジョ)がまだ王子時代だった1428年に彼と結婚した貞熹(チョンヒ)王后(1418-1483年)。本来は次男で王位に縁がないはずの夫が1455年に甥から王位を奪い、その結果、貞熹王后も王妃になることができた…
  • 王宮の烈女と悪女4「顕徳王后」

    1414年、文宗(ムンジョン)は4代王・世宗(セジョン)の長男として生まれた。頭が良く学問を好んでいた。しかし、病弱だったことが彼の夫婦生活に影響を及ぼしていた。そんな文宗には3人の妻がいた。 2人の正室の惨…
  • 王宮の烈女と悪女3「昭憲王后」

    ハングルを作ったことで有名な4代王・世宗(セジョン)。その彼を支えたのが妻の昭憲(ソホン)王后(1395-1446年)である。彼女が王妃になったことで実家が大いに繁栄したが、その後、まるで奈落の底に落ちたかのように地獄の…
  • 王宮の烈女と悪女2「元敬王后」

    1392年に朝鮮王朝を建国した太祖(テジョ)の五男である芳遠(バンウォン)は、1400年に3代王の太宗(テジョン)となった。その彼を妻として支えたのが元敬王后(ウォンギョン)王后(1365-1420年)だが、その生活は、…
  • 王宮の烈女と悪女1「神徳王后」

    朝鮮王朝の27の王たちを支えたのが、王妃や側室である。彼女たちは、韓国時代劇のもう1人の主役と言ってもいいだろう。王妃や側室となった女性たちの人物像と歩んだ道をたどってみたい。 大事な後継者選び 1392年に…
  • 世子はどのような経緯を経て国王になっていくのか

    国王の長男は普通、生まれたあとに元子(ウォンジャ)という世子(セジャ)の筆頭候補になる。元子のために特別な組織が作られ、元子は大事に育てられる。その元子が成長して特に問題がなければ、5歳以降に世子に指名された。 …
  • 思悼世子と恵慶宮は険悪な夫婦だった!

    国王・英祖(ヨンジョ)の息子だった思悼世子(サドセジャ)と、高官・洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘であった恵慶宮(ヘギョングン)。2人は果たして、どんな夫婦だったのだろうか。 夫婦の息子は正祖 思悼世子と恵慶宮は…

特選記事

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  2. 繰り返し見て深みのあるストーリーを味わう!/トッケビ全集8

  3. 16代王・仁祖(インジョ)はどんな王だったのか

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