タグ:朝鮮王朝
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ハングルを作ったことで有名な4代王・世宗(セジョン)。その彼を支えたのが妻の昭憲(ソホン)王后(1395-1446年)である。彼女が王妃になったことで実家が大いに繁栄したが、その後、まるで奈落の底に落ちたかのように地獄の…
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1392年に朝鮮王朝を建国した太祖(テジョ)の五男である芳遠(バンウォン)は、1400年に3代王の太宗(テジョン)となった。その彼を妻として支えたのが元敬王后(ウォンギョン)王后(1365-1420年)だが、その生活は、…
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朝鮮王朝の27の王たちを支えたのが、王妃や側室である。彼女たちは、韓国時代劇のもう1人の主役と言ってもいいだろう。王妃や側室となった女性たちの人物像と歩んだ道をたどってみたい。
大事な後継者選び
1392年に…
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国王の長男は普通、生まれたあとに元子(ウォンジャ)という世子(セジャ)の筆頭候補になる。元子のために特別な組織が作られ、元子は大事に育てられる。その元子が成長して特に問題がなければ、5歳以降に世子に指名された。
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国王・英祖(ヨンジョ)の息子だった思悼世子(サドセジャ)と、高官・洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘であった恵慶宮(ヘギョングン)。2人は果たして、どんな夫婦だったのだろうか。
夫婦の息子は正祖
思悼世子と恵慶宮は…
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清での8年間に及ぶ人質生活を終えて、1645年2月に母国に帰ってきた昭顕(ソヒョン)世子。しかし、わずか2カ月で亡くなってしまった。あまりに不可解な急死。毒殺を疑われるのも当然だった。
歴史書も毒殺疑惑を提起…
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『不滅の恋人』には2人の王子が登場して激しく対立する。その王子の中で、イ・ガンは歴史的に首陽大君(スヤンデグン)のことであり、イ・フィは安平大君(アンピョンデグン)のことだ。史実で2人はどんな立場だったのだろうか。
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1735年に生まれた思悼世子(サドセジャ)は神童と呼ばれた。喜んだ父の英祖(ヨンジョ)は、思悼世子が10歳のときから政治の表舞台にデビューさせた。これがいけなかった。当時の主流派閥は老論派(ノロンパ)だったが、思悼世子は…
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20歳までの貞明公主は薄氷の上をおそるおそる歩くような日々を過ごした。そんな境遇に耐えたあとは、とてつもない土地を所有する大地主になった。まさに、彼女の人生は波瀾万丈だった。
邪険にされた王女
1603年に生…
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1636年12月、朝鮮王朝が強大な清に攻められたときだった。貞明公主は漢江(ハンガン)の河口の近くの江華島(カンファド)に避難しようとした。用意した船に財産をすべて載せて、貞明公主はまさに陸地を離れようとしたのだが……。…
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