接近『雲が描いた月明り』12「母の実像」

王族の末端の若者が即位

憲宗はわずか7歳で即位したために、代理で政治を行なう人が必要になった。その大役をまかされたのが純元王后だった。
絶大な権限を握った純元王后。実家の安東・金氏の一族をさらに重用したことは言うまでもない。
さらに女帝として強権を発したのは、1849年に憲宗が22歳で早世したときだった。
憲宗には息子がおらず、まだ後継者が決まっていなかったが、純元王后は自分の一族に有利なように、王族の末端の若者を探し出してきて王として即位させた。
それが25代王の哲宗(チョルチョン)である。
彼は漢字も満足に読めないような青年だったが、純元王后はあえて無学な王族を王にして、自分が裏で糸を引いた。




権力をほしいままにした純元王后は、1857年に68歳で亡くなった。
実家の一族に栄光と莫大な資産をもたらしたが、それによって朝鮮王朝の政治が腐敗したことは間違いない。

接近『雲が描いた月明り』1「誰が主人公なのか」

接近『雲が描いた月明り』2「歴史背景」

接近『雲が描いた月明り』13「父の実像」




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