張禧嬪に死罪を命じた粛宗/朝鮮王朝のよくわかる歴史13

激怒した粛宗

せっかく王宮に戻ってきた仁顕王后ですが、病弱で床に臥せっていることが多かったようです。その末に1701年8月に亡くなりました。
このとき、張禧嬪が祠を建てて仁顕王后を呪い殺そうとしていたことが淑嬪・崔氏の証言によって発覚します。
粛宗もすでに張禧嬪から心が離れていますから、死罪に値すると思ったのでしょう。1701年9月、粛宗は重臣たちの前で張禧嬪を激しく非難します。
「1回も中宮の見舞いに来なかったばかりか、彼女を呼び捨てにして邪悪な人だと評していた」
「密かに神堂を建てて、怪しげな者たちと祈祷をしておかしな動きをしていた」
「今や、その罪が明らかになった」




ここまで言い切った粛宗は、最後に語気を強めて次のように命令しました。
「張禧嬪を自害させよ!」
粛宗は自ら張禧嬪の死罪を決めました。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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