タグ:歴史

  • 王宮を訪ねてみよう6「宗廟」

    宗廟(チョンミョ)は正確に言うと王宮ではありません。しかし、ある意味では王宮以上に重要な場所でした。なぜなら、ここには朝鮮王朝の歴代の王と王妃の位牌が丁重に祀られているからなのです。 [caption id="atta…
  • 王宮を訪ねてみよう5「慶熙宮」

    朝鮮王朝の「五大古宮」の中で一番規模が小さいのが慶熙宮(キョンヒグン)です。五大古宮の中では最も西側に位置しています。ここも、歴史に翻弄されて様々な運命をたどっています。 [caption id="attachment…
  • 王宮を訪ねてみよう4「徳寿宮」

    徳寿宮が誕生する過程には、朝鮮王朝の王位継承に関する逸話がありました。それは、1469年のことです。8代王の睿宗(イェジョン)は即位して1年あまりで亡くなってしまいました。あまりにも突然の死であったため、後継者は決まって…
  • 王宮を訪ねてみよう3「昌慶宮」

    ハングルを自ら創製したことでも知られる4代王の世宗(セジョン)。朝鮮王朝最高の聖君と称されています。彼はもともと3代王・太宗(テジョン)の三男でした。長男をさしおいて自分を王に指名してくれたことを父に感謝していました。 …
  • 王宮を訪ねてみよう2「昌徳宮」

    1400年に朝鮮王朝の3代王となった太宗(テジョン)は、王の威厳を示すために、大きな仕事をしたがりました。その願望をかなえるために1405年に建設したのが、景福宮(キョンボックン)の離宮となった昌徳宮(チャンドックン)で…
  • 王宮を訪ねてみよう1「景福宮」

    1392年、李成桂(イ・ソンゲ/初代王の太祖〔テジョ〕)は朝鮮王朝を建国しました。首都の漢陽(ハニャン)は、現在のソウルです。王朝の拠点となる王宮の建設は、1395年に始まりました。 [caption id="atta…
  • 燕山君と中宗と端敬王后の人間関係を解説!

    韓国時代劇の『七日の王妃』と言えば、王妃になってわずか七日で廃妃(ペビ)になってしまった端敬(タンギョン)王后を中心に描かれている。物語に深く関わってくるのは、燕山君(ヨンサングン)と中宗(チュンジョン)だ。この3人は、…
  • 王朝盛衰史18「518年間続いた王朝の終焉」

    26代王の高宗(コジョン)が即位したときにまだ11歳でした。父の興宣大院君(フンソンデウォングン)が摂政を行ないましたが、彼は荒廃していた景福宮(キョンボックン)の再建に乗り出しました。 外圧が強まる 景福宮…
  • 王朝盛衰史17「惜しまれる孝明世子の早世」

    女帝のように王朝を支配した貞純(チョンスン)王后が1805年に世を去りましたが、代わって実権を握ったのが安東(アンドン)・金(キム)氏の一族でした。さらに、政治が混乱していきました。 [caption id="atta…
  • 王朝盛衰史16「正祖の改革をつぶした貞純王后」

    正祖(チョンジョ)は名君として今の韓国でも尊敬されています。4代王・世宗(セジョン)ほどではないにしても、その次くらいの評価を得ています。政治的な業績もたくさんありますが、特に、身分が低くても才能がある人を抜擢して、将来…

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  3. 16代王・仁祖(インジョ)はどんな王だったのか

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