対立した光海君と仁祖の物語/第5回

貞明公主は、クーデターの直後には結婚できたが、20歳だったので、当時としては遅い結婚だった。当時のしきたりでは、王女は結婚したらすぐ外に出ることになっているので、外に大きな屋敷を構えた。





無能な王

異例だったのは、全羅道(チョルラド)や慶尚道(キョンサンド)に莫大な土地を持ったことだ。朝鮮王朝で一番の地主だったと言われているくらい、大変な土地をもらったのである。
実は、仁穆王后は、憎き光海君の首を取れなかったが、自分の娘を大地主にして世を去っている。息子が殺されているので、母親として辛かっただろうが、娘を幸せにして世を去ったのである。
綾陽君は16代王の仁祖(インジョ)になっていたが、クーデターが起きるまではすごく果敢な行動力だったが、王になってからは無能だった。
まず、後金を野蛮人と軽蔑して明に肩入れしてしまい、後金の言うことは絶対に聞かなかった。結果的に、光海君が予測した通りに明が滅びて、後金が清に国号を変えて、中国大陸を制覇した。
すると、「俺たちを野蛮と称した朝鮮王朝を許さない」ということで何度も攻めてきて、1636年12月には12万人以上の大軍が朝鮮半島に侵攻した。




仁祖は、たまらずに都の南にあった山城に40日間籠城したが、その間に全土が清の軍勢に略奪された。
やむをえず、仁祖は漢江(ハンガン)の川辺の三田渡(サムジョンド)という場所で、清の皇帝の前で地面に頭をこすりつけるという大変屈辱的な謝罪をさせられた。ドラマ『華政』では、仁祖の額から血が流れていく場面だった。
それだけではない。仁祖は息子2人を捕虜として清に連れていかれた。さらに、庶民も50万人近くが捕虜になったと言われている。
光海君は、確かに身内を殺すという非道なことをしているが、それは光海君だけでなく、朝鮮王朝の歴史の中で、王家には何度もあったことだ。
それゆえ、光海君だけを責められない。むしろ、彼は外交と内政で貢献があった王であった。
その光海君をクーデターで追っ払った仁祖が、間違った政治で朝鮮王朝を苦境に陥らせた。
もしも、仁祖がクーデターを起こさなかったら、朝鮮王朝の歴史は劇的に変わっていただろう。少なくとも、あれほど清に従属させられることはなかった(終わり)。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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