「朝鮮王朝実録」によると、貞純王后は処罰されることに抵抗して断食したそうだ。祖母がそこまでしているのに、正祖は簡単には処罰できない。なんといっても、朝鮮王朝では儒教が国教だ。「孝」を重視する社会において、孫が王族最長老の祖母を処罰するということが簡単にできるはずがない。
正祖が長生きしていれば
結局、正祖は貞純王后の罪を問わなかった。
正祖は1800年に48歳で亡くなっているが、貞純王后によって毒殺されたのではないか、という疑惑がその後もずっと残っている。なんといっても、正祖が亡くなって一番の利益を得たのが貞純(チョンスン)王后だったのだ。
貞純王后は、正祖の息子で23代王となった純祖(スンジョ)の摂政を担い、やりたい放題していた。それによって、朝鮮王朝の政治が腐敗したことは間違いない。
貞純王后は1805年に亡くなり、その後は王の妻の実家(外戚)が政治を牛耳る勢道(セド)政治が続いた。そのときの政治的停滞によって近代化が遅れ、その後の王朝の衰退につながってしまう。
正祖がもう少し長生きしていれば、朝鮮王朝は果たしてどうなっていたか。少なくとも、貞純王后の悪政や勢道政治はなかっただろう。それだけに、正祖の早すぎる死が惜しまれる。
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