最高級の称賛
勇敢なだけでなく頭脳も明晰だった。結局、朝鮮半島の歴史上で最大となる広大な領土を確保した。
それでも、無骨な男ではなかった。歴史書『三国史記』には「(広開土大王は393年に)平壌(ピョンヤン)に9つの寺を創建した」と書かれてある。
仏教によほど深い理解を示していたのであろう。戦乱の中でも民衆の安寧を願い、仏教を大いに推奨したのだ。
これほどの英雄でも、寿命だけはどうしようもなかった。413年、38歳の若さで生涯を終えた。
息子の20代王・長寿王(チャンスワン)は414年、父の偉業を記録した碑を建てた。それが、今も中国の吉林省に残る「広開土大王陵碑」である。
そこには1800以上の文字が刻まれているが、広開土大王の功績について「国が富強となり、民は安心して暮らし、五穀が豊かに実った」と評されている。最高級の称賛でも語りつくせないほどの大王であった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)