『華政』で描かれた貞明公主の物語「第9回」

とてつもない地主

貞明公主をさんざん冷遇した仁祖が世を去ったのは1649年である。
享年54歳だった。
王位を継いだのは二男の鳳林(ポンニム)で、彼が17代王の孝宗(ヒョジョン)として即位した。
以後、朝鮮王朝は孝宗、18代王・顕宗(ヒョンジョン)、19代王・粛宗(スクチョン)と王位が移っていくが、王族の長老女性として貞明公主は歴代王から丁重な待遇を受けた。仁祖の時代とはまったく逆になったのだ。
特に、貞明公主が絢爛(けんらん)たる生活を送れたのは、彼女が大変な地主であったからだ。
貞明公主は都に広大な屋敷を所有していたが、その他に慶尚道(キョンサンド)と全羅道(チョルラド)にとてつもない土地を所有していた。
たとえば、貞明公主が慶尚道に持っていた土地は、現在の土地の測り方に換算すると、5000万坪にのぼったという。




この広さを想像できるだろうか。
朝鮮王朝時代、都の漢陽(ハニャン)は城郭に囲まれた都市であった。その城郭の中がおよそ600万坪だったと推定されている。そうだとすれば、貞明公主が慶尚道に持っていた土地は、都の漢陽より8倍強も広かったことになる。
他にも、貞明公主は全羅道にいくつも島を所有していた。
なぜ、彼女はそこまで大地主になれたのか。
それはとりもなおさず、母親の仁穆王后が仁祖に働きかけた結果だった。クーデターを起こして王となった仁祖は、王位交代の大義名分を仁穆王后から与えられていた。それだけに、仁祖は仁穆王后のご機嫌を取る必要があったのだ。その立場を利用して、仁穆王后は娘のために広大な土地を譲り受けたのである。
518年間も続いた朝鮮王朝において、貞明公主ほど広い土地を所有した女性は、他にいなかったのではないか。
(第10回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

『華政』で描かれた貞明公主の物語「第1回」

『華政』で描かれた貞明公主の物語「第2回」

『華政』で描かれた貞明公主の物語「第10回」




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