赤いチマ岩の伝説
中宗は国王なのですから、臣下が何を言ってきてもつっぱねればよかったのです。ところが、中宗は気が弱いというかはっきりしない性格で、最後は端敬王后の廃妃に同意してしまいます。
それでも中宗はメソメソするばかりです。王宮の高い場所に立ち、端敬王后が住むあたりを見ては、ため息をついていました。そのことが都で噂になり、端敬王后の耳にも入ります。そこで彼女は、住まいの裏の岩山にかつて自分がよく着ていた赤いチマ(スカート)を干し、“私はここで元気に暮らしています”と伝えました。これは「赤いチマ岩の伝説」とよばれ、韓国でも夫婦愛を示すよい話といわれていますが……。
もとはといえば、中宗が夫としてだらしないから起こった話です。
そんな中宗は端敬王后を離縁したあと、二番目の正妻として章敬(チャンギョン)王后と再婚しますが、彼女は息子を産んですぐに亡くなってしまいます。そこで、中宗は三番目の王妃として文定(ムンジョン)王后を迎えます。
これが朝鮮王朝にとって不運でした。なにしろ、文定王后というのは、朝鮮王朝でも一番の悪女といえるような人で、平気で非道なふるまいを繰り返しました。中宗が見て見ぬふりをしたのが、さらに文定王后を図に乗せたのですが……。
文=康 熙奉(カン ヒボン)