朝鮮王朝は1392年に始まってから、王の後継者をめぐって骨肉の争いがあったとはいえ、対外的に平和な日々を過ごしていました。1592年といえば、創設から200周年で記念すべき年だったのですが、お祭り気分は吹っ飛んで存亡の危機を迎えます。豊臣軍が攻めてきたからです。
強化しなかった国防
豊臣軍の攻撃を受ける2年前、朝鮮王朝でも、戦国時代を統一した豊臣秀吉が大陸制覇の野望を持っていることに勘づいていました。そこで、使節を派遣して日本の動向をさぐらせたのですが、帰ってきた使節の意見が真っ二つに分かれました。
「すぐにでも攻めてきます。国防に力を入れるべきです」
「攻めてこないから安心してください」
同じく日本に行った使節がまるで違うことを言いました。
普通なら、「念のために国防を強化しよう」となると思うのですが、この当時の政権内部では激しい派閥争いがあり、「攻めてこない」と断言した使節が属する派閥が優勢だったのです。
それで、「攻めてこない」という意見が通り、国防を強化しませんでした。すると、すぐに豊臣軍が怒濤のように攻めてきたというわけです。
日本の場合は、長く続いた戦国時代を経て兵が鍛えられていました。武器も強力でした。一方の朝鮮王朝は太平の世が続いて緊張感がゆるんでいましたし、兵も実戦で鍛えられていません。両国の兵力には、かなりの差があったのです。
ただ、朝鮮王朝も巻き返します。中国大陸から明が救援に来ましたし、各地で義勇軍が組織されてゲリラ戦法が功を奏しました。
また、名将として有名な李舜臣(イ・スンシン)が海上で大活躍して豊臣軍の補給を断ちました。
(ページ2に続く)