朝鮮王朝を建国した初代王・太祖(李成桂)

生没年/1335年~1408年
在位/1392年~1398年

約518年も続いた朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼の父は高麗(コリョ)の武将として国土防衛の重責を担った。その父は1364年に亡くなり、二男の李成桂がその地位を受け継いだ。

写真=植村誠




高麗の武将だった李成桂

25歳の若さで将軍となった李成桂は、庶民の生活を脅かす盗賊や、朝鮮半島沿岸を荒らす倭寇を掃討することで大きな戦績をあげた。人々は彼の大きなからだと耳を見て、尊敬と畏怖の感情を込めて「大耳将軍」と呼んだ。
そんな李成桂には一つの逸話が残されている。
それは李成桂が妻の実家に挨拶に向かったときのことだ。出発の遅れた彼は、日が暮れてしまい、小さな寺で一晩過ごすことになった。彼はそこで奇妙な夢を見る。
夢の中で李成桂は崩れかけた古い家の中にいた。彼が中でくつろいでいると、家は突如壊れていく。李成桂はその家から逃げ出すとき、3本の柱を背負っていた。
夢の中の出来事だったが、妙に気になった李成桂は、無学(ムハク)大師という名僧に、夢占いをお願いした。
無学大師は李成桂の話を聞くと、「古い家は高麗を指していて、3本の柱は家の重要な部分であり、それを背負ったということは、あなたは王になる運命だ」と話した。




1388年、元を滅ぼして新たに中国大陸を統一した明は、高麗に対して領土を差し出すように通告してきた。これに対し、高麗の禑王(ウワン)は李成桂に10万の大軍を預け、明を討つように命じた。
しかし、李成桂はこの戦いに否定的だった。彼は大国と戦争をするのは間違っていると述べて中止を求めるが、禑王の決意は変わらなかった。
王の決断に逆らえなかった李成桂は、遠征軍を率いて北方へ進軍を開始した。しかし、高麗の軍勢は、連日降り注ぐ雨によって、朝鮮半島北部の鴨緑江(アンノッカン)に位置する中州の威化島(ウィファド)にて足止めされてしまう。
もとから遠征に反対だった李成桂は、兵の士気が下がっていることを感じ、全軍を引き返すことにした。しかも、以前見た夢を思い出し、自分が王になろうと決断。攻撃の矛先を高麗の都・開京(ケギョン)に向けた。
圧倒的な強さで都を陥落させた李成桂は禑王を処刑。逆らう者を徹底的に排除していき、高麗の最高権力を手中に収めた。
1392年、李成桂は傀儡の恭譲王(コンヤンワン)を退位させて、自ら王になった。翌年には国号を「朝鮮」と決め、都を漢陽(ハニャン/現在のソウル)に移した。




李成桂は庶民が高麗を忘れ、新しい国に馴染めるように様々な改革を行なった。その一つが国教を仏教から儒教にすることだった。
また、李成桂は有能な人材を積極的に登用していくが、一つの悲劇もあった。
高麗への忠誠を捨てきれない臣下たちは、李成桂の呼びかけを無視して、杜門洞(トゥムンドン)という村に身をよせていた。李成桂は村の周りに1カ所の逃げ場だけを作り、火を放った。こうすることで、自分の呼びかけが本気だということを証明したのだ。しかし、120名いた高麗の忠臣たちはほとんど杜門洞から出ずに焼け死んだ。この出来事から、1カ所にこもって出てこないことを「杜門不出」と言うようになった。
こうした悲劇があったものの、李成桂は初代王として国の基礎をつくった。

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