光海君は済州島に流罪となった!

2006年に韓国で放送された「王の女」は、光海君(クァンヘグン)の後ろ楯になった金介屎(キム・ゲシ)を描いています。彼女は光海君の父親の宣祖の時代から、女官として有能に働きました。なによりも、人を動かす術が巧みだったと言われています。

光海君が流罪になった済州島




意外に長寿

金介屎を主人公にした「王の女」の最終話には、仁穆(インモク)王后が目の前で光海君を土下座させて数々の悪行を糾弾する場面があります。韓国ドラマには怒りを爆発させる人の話がよく出てきますが、このときの仁穆王后の怒りも凄まじく、見ていても背筋が寒くなるくらいです。実際、仁穆王后の怒りは半端ではなかったのでしょう。
それでも、仁祖は光海君の命を奪いませんでした。少なくとも、朝鮮王朝の王位にあった事実を重んじたのです。
光海君は、正室の柳(ユ)氏や息子夫婦と一緒に江華島(カンファド)に流されました。柳氏は、江華島に行く船の中で、夫である光海君に「一緒に身投げして心中しましょう」と言いましたが、光海君はそれを拒絶して生き抜く覚悟を決めました。
江華島では、息子夫婦が陰謀にはめられて自害させられます。それを悲観した柳氏は自ら命を絶ちます。それでも光海君は生き続け、最後には江華島から済州島(チェジュド)に移されます。




済州島は極悪人が流される流刑の島ですが、光海君はそこまで遠島に行く羽目になるとは想像さえしていませんでした。
船も幕を張って、どこに向かっているかを隠し通して済州島に行ったと言われています。済州島に着いたとき、光海君は島の名前を聞いて絶句しました。そばにいた役人が「王であらせられるときに、悪い官僚たちの口車に乗らなければよかったのでございますが……」となぐさめたそうです。
しかし、よほど済州島の水が合ったのか、光海君は余生を延ばして、1641年に亡くなりました。確かに、晩年は惨めでしたが、意外と人間らしい生活ができたのかもしれません。
享年は66歳。これは、歴代王27人の中で四番目の長寿でした。
最後に、光海君と仁祖の違いを1つだけ取り上げます。
光海君は二股外交で後金からの侵攻を防ぎました。一方、仁祖は後金を野蛮な国だと軽蔑しました。こうした態度が後金を怒らせ、朝鮮王朝は何度も侵攻を受けました。
1636年12月には清と国号を変えた後金が大軍で攻めてきて、仁祖は土下座をして謝罪しました。以後、朝鮮王朝は清に干渉され続けます。まさに、仁祖は外交で大失敗をおかしたのです。
政治的には、光海君のほうがはるかに有能だったといえるでしょう。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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