カテゴリー:歴史

  • 韓国と日本の史実5/蘇我氏の天下

    物部氏が滅び、蘇我馬子(そがのうまこ)には、もう誰も逆らえなくなった。たとえ、天皇でさえも……。ただし、用明天皇の後を継いだ崇峻天皇は少なからず蘇我馬子に反感を持っていた。たまたま、猪を献上した者がいた。その猪を見ながら…
  • 韓国と日本の史実4/蘇我氏と物部氏

    百済(ペクチェ)の聖王(ソンワン)の使者が来日して、欽明天皇に釈迦仏の金銅像と経論などを贈呈した。仏教の受容をめぐって、政権を支える2大勢力が対立した。 捨てられた仏像 欽明天皇は蘇我氏と物部氏の間をとりもちな…
  • 韓国と日本の史実3/仏教伝来

    古代の朝鮮半島で、高句麗(コグリョ)の南下政策が過激になったのが5世紀の後半だった。475年、高句麗軍の兵3万は百済(ペクチェ)の都であった慰礼城(ウィレソン/現在のソウル近郊)を激しく攻めた。 475年が転換…
  • 韓国と日本の史実2/百済と高句麗

    『日本書紀』の記述によると、応神天皇の時代に百済(ペクチェ)から来日したのが王仁(わに)と言われている。日本に「論語」と「千字文」を持ち込んだそうで、これをもって、漢字と儒教を日本に伝えたのが王仁と称されている。 …
  • 韓国と日本の史実1/ヤマト政権

    古代の日本列島……人の往来はどうなっていたのか。東からは誰も来ない。地球で一番大きな海が人を寄せつけなかった。来るのは、北と南と西からだ。特に、西から来る人が圧倒的に多かった。 古代人の往来 西には大陸の文明が…
  • こんな王妃がいた!「第10回・貞純王后」

    1800年、名君として名高い22代王・正祖(チョンジョ)が亡くなり、その息子が10歳の若さで23代王・純祖(スンジョ)として即位した。幼い純祖が王位についたのは、正祖には他に息子がいなかったからだ。しかし、成人もしていな…
  • こんな王妃がいた!「第9回・文定王后」

    11代王・中宗(チュンジョン)には3人の妻がいた。最初の妻は父が燕山君(ヨンサングン)の側近だったために追放された端敬(タンギョン)王后。2人目の妻は12代王・仁宗(インジョン)を産んですぐに亡くなった章敬(チャンギョン…
  • こんな王妃がいた!「第8回・端敬王后」

    10代王・燕山君(ヨンサングン)の暴政は、臣下たちのクーデターで終結した。彼の後を継いだのは異母弟の11代王・中宗(チュンジョン)。自分の意思とは関係なく臣下のみこしに乗って王になった彼は、強引な政策を続ける側近に異論を…
  • こんな王妃がいた!「第7回・廃妃・尹氏」

    9代王・成宗は王としては多くの偉業を残した。しかし、女好きがたたり、多くの問題も起こしている。その筆頭が廃妃(ペビ)・尹氏(ユンシ)との問題だ。果たして、それはどんなことだったのだろうか。 [caption id="a…
  • こんな王妃がいた!「第6回・仁粋大妃」

    仁粋(インス)大妃は、もともと、7代王・世祖(セジョ)の長男・懿敬(ウィギョン)の正妻である。懿敬は世子(セジャ/王の後継者)だったので、仁粋大妃も本来なら王妃になるはずだったのだが、懿敬が19歳で夭逝したために、それは…

特選記事

  1. コン・ユ主演で魂の不滅を抒情的に描いたドラマ!/トッケビ全集13

  2. 繰り返し見て深みのあるストーリーを味わう!/トッケビ全集8

  3. 16代王・仁祖(インジョ)はどんな王だったのか

ページ上部へ戻る